Hirakawa-Shoji

壁を何度ものりこえたときに見える、
「経営」という名の景色。

内村 友也

ホテル & レストラン事業部
経営企画室
マネージャー

アルバイトだった私に、
「何かあったら電話して」
と名刺を渡してくれた。

新卒で建設設備関連の会社に就職し、その後、平川商事に転職したのですが、
もともと学生時代に平川商事のパチンコ店でアルバイトをしていました。
当時、印象的だったのは社員やスタッフがみんなイキイキと楽しそうに働いていたこと。
人間関係や仕事に対する考え方など、様々なことを学び、
人として成長できた4年間でした。一度だけ、店長と意見が合わず、もうやめようと店を出ていったことがありました。そのとき偶然、当時エリアディレクターだった今西副社長と出口で会って、
「どうしたんや」と声をかけてくださったんです。それまであまり話をしたことがなかったのでとても驚いたのですが、私の話を真摯に聞いてくれて、最終的に店長との揉め事も収めてくださり、
私はアルバイトを続けることになりました。そして、数年後、就職のためにアルバイトを辞めるとき、「何かあったら電話して」と、名刺をくださったんです。

そういった経緯から、新卒で入社した会社を辞めて、転職をしようと考えたとき、すぐに頭に浮かんだのは平川商事でした。さっそく今西副社長に会うために、当時の勤務先だった奈良健康ランドに向かいました。しかしアポをとっていなかったため、副社長はあいにく不在。せっかくなので温泉に入って帰ろうと湯船に浸かっていると、館内放送でいきなり「内村様?内村様?」と自分の名前が呼ばれました。外出から戻ってきた今西副社長が私の訪問を知って呼んでくださったんです。慌ててお風呂を出て、汗だくで走ったことを今でも覚えていますね(笑)。

入社2年で店長に昇格。
小さな積み重ねで、
必ずチャンスは回ってくる。

今西副社長に、パチンコ事業は大学時代に十分経験したので、ゴルフ事業部でやってみたいという意思を伝えると、“主軸事業であるパチンコを改めて一から学んで実績を積めば、そこからゴルフ事業部はもちろん、他にも様々なことにチャレンジできる”と言われ、キャリアを示していただいたことで、転職を決意しました。しかし、そうはいっても、最初はそこまで上昇志向があったわけではなく、どちらかというと、社員がやりがいを持って働いている姿や、楽しそうな雰囲気の方に魅力を感じていました。
入社後は2カ月で新店立ち上げのチーフ、2年目で店長を任せてもらいました。当時は早い方だったと思いますが、店長になるために何か具体的なことに取り組んだわけではありません。ただ、どんな小さな作業であっても、もっと効率的にするにはどうすればいいか?ミスをなくすにはどんなやり方がいいのか?など、常に考え、課題を抽出し、改善していくというプロセスを繰り返すように心がけていました。そのように成長意欲を持って仕事をしていれば、かならずチャンスがもらえる会社なんです。

20代で新規事業の
立ち上げメンバーに抜擢。
ビジネスの視点が養われた。

パチンコ事業に3年ほど携わった後は、本社の管理部やホテル&レストラン事業部、副社長付きなど様々な経験を経て、入社5年目のときに屋久島のホテルの開業準備室に入りました。ホテルの立ち上げの経験などなかったため大変なこともありましたが、こんな大きな事業の立ち上げに関わらせてもらえたことは、私の中で大きな財産になっています。

このときにそれまでなかったビジネス視点が養われました。ホテル開業後は、現地でスタッフとして数年働き、次に奈良健康ランドの施設責任者に就任。当時私はまだ30歳で、1日1,000名以上のお客様が利用する大きな施設だった上に、幹部社員のほとんどが年上だったのでとても不安でした。チャンスといえばチャンスなのですが、奈良健康ランドの現場を知らない人間が責任者として何ができるんだという思いの方が大きかったです。それでもスタッフに協力してもらって、なんとか職責を果たすことができました。奈良健康ランドではほぼすべての決済権が責任者に与えられるので、ここでは経営者の感覚を磨くことができました。

屋久島観光協会の理事に就任。
自分の成長を、会社のため、
社会のために。

奈良健康ランドの後は、屋久島に総支配人として戻ることになりました。すでに私が屋久島から奈良健康ランドに異動して3年ほどが経っていたので、当時とは状況が変わっている上に、ホテルは開業5年目に入り、そろそろ事業として明確な成果が求められる頃。正直難しいだろうなとは思っていましたが、まずは課題を抽出し、どうすればお客様にご満足いただけるかをスタッフとミーティングを重ね、少しずつ小さな取り組みを重ねていくことで、業績は120~130%を達成。認知度も上がり、2014年にはトリップアドバイザーのラグジュアリーホテル部門と小規模ホテル部門で日本1位を獲得するほどに。これを達成できたのは、やはり節目節目で重要なポジションやストレッチ目標を与えていただくことで、成長できたからだと思います。今では屋久島観光協会の理事も務めさせていただいており、自社のホテルだけでなく屋久島自体への観光客の誘致活動を、台湾、香港、韓国など海外に向けて営業を行なっております。自分の成長が会社の利益、そして社会経済に少しでも貢献できるよう、今後もいろいろなことにチャレンジしていきたいです。